1-6.情報社会: 一次情報にあたろう

新聞を読まなくなってもう十数年がたちます。長い一人暮らしの間はテレビを持っていなかったので、ニュース番組を見る機会もほとんどありませんでした。
90年代後半からネットでもいろいろな情報が得られるようになってきて、大手のメディアも小さいメディアも独立したジャーナリストの意見も市井の人々の意見も、ある意味で多角的に比較して見られるようになったと思います。

だから、何かコトが起こってそれがどういうことか知りたい、と思った時には可能な限りまず一次情報にあたりましょう。

でもジャーナリストのような特定の仕事でもないと一次情報に触れる機会は限られますが、こういうときはネットという「場」であり「ツール(道具)」が便利です。

例えば、政治家など影響力のある人の発言が取り上げられて問題になったりします。
でも大抵は、10分喋った中のほんの数秒の言葉を切り取って流したり論評したりしていて、もうそうれだけだと何がどう問題なのかわからないし良いのか悪いのか判断もできないことが多いと思います。
とりわけ大手のメディアから流れる情報は、制約なのか圧力なのか記者のレベルが下がっているのか、もういろんな事情で変な伝わり方をしてきますので、困ったものです。大手メディアや企業を介した情報は加工され、意図的に伝えられている可能性も多いように思います。
でも今ならネットで、喋った10分まるまるそのまんまの映像が流れる時代です。
だからジャーナリストのような仕事についていなくても、直截その映像(一次情報)を見ることができ、そのうえで自分で考え判断する機会があるわけです。そして新聞やテレビの論調やその事象に関する様々な人々の意見も比較して、どうなのか自分で判断できるというわけです。

そういう意味では便利で自己選択の可能性が広がっているわけです。なのに、実態は大手のメディアのニュースだけ見て「これは怪しからん」「これは素晴らしい」と言ったりしているようで、下手するとそれが全体の空気になったりして、ミスリードにつながっていることが多いように思います。

東日本大震災のときはさすがにテレビのニュースも少しは見ていました。かなり妙に思いました。
福島第一原発の3号機の爆発でキノコ雲が吹き上がる映像やドイツのドキュメンタリー番組をYouTubeで見ながら、枝野官房長官(当時)がいかに理屈っぽく「大丈夫」とか「駄目」とか言うのを聞いてもそのまま信用できるでしょうか。家に居たままでも、キノコ雲の映像と政府の発言を鑑みて、疑問を持つことくらいはできます。それから自分で考えてみればいいわけです。

昨年の衆議院選挙の前、「ある地方議員が地元の住民に『だれに投票したらいいかわからない』という相談をよく受ける」という話をしていたとある新聞記事に出ていました。この地元住民は、だれに投票するか自分では考えないのですかね(それとも記事の文面に誤謬があるのか?)。仮に地元住民が本当にそんな相談を他人にしているのだとしたら、自分の選挙権の行使先を自分で決めていない、というようにも受け取れます。
選挙の場合は立候補者が演説もすれば広報もでるし、政見放送もある。立候補者の考えを知る機会はいくらでもあります。それを聞いて考えればいいわけですが、そうでもないようです。今度の参議院選はネット選挙になりそうなので、より情報の幅は広がると思います。あとは自分でどう考え判断するかだけです。

考えるにあたりまず「どういう情報を得るか」は大切です。